京成 車両  北総 車両  芝山鉄道 車両 今は亡き 千葉急行 車両等  製造(竣工年月 新造年月)、冷房改造、更新修繕等、車両の経歴、更新・廃車 の時期等調査。 モーター( 主電動機 )、コンプレッサー(空気圧縮機、CP )、補助電源装置 ( MG SIV ) 制御装置 歯車比 台車 等 各種機器も調査できます。 京成3000形   京成3100形  京成3200形  京成3300形  京成3400形  京成3500形  京成3600形  京成3700形   京成初代3000形  京成2100形  京成210形 北総7000形  北総9000形   1990年代の 京成 クロスシート試作車 や 試験塗装車 等 懐かしい写真もここで見れます。  成田高速鉄道・Bルート用、成田スカイアクセス用の新型車両 新型スカイライナーの新AE形や3050形もここで! 


    現役在籍車については、2012年1月現在の車両状況を紹介します。









京成電鉄を中心に、近隣グループ会社の北総鉄道 ( 千葉ニュータウン鉄道所有車も含 ) や芝山鉄道、ならびに今はなき千葉急行電鉄の車両各形式を詳しく紹介します。


1980年(昭和55年)5月から、成田スカイアクセス開業後、2012年(平成24年)1月現在の間に在籍した京成電鉄・北総鉄道、芝山鉄道、および今はなき千葉急行電鉄の一般営業用鉄道車両全形式をを紹介します。各形式共、新製・更新・冷房改造・塗装変更等の経緯もここで調べられます。1980年(昭和55年)5月以降に、引退となった一般営業用車・形式の詳細も紹介します。
ならびに、成田スカイアクセス用に新造した車両もここで紹介します。

1980年代の新赤電塗装となったファイアーオレンジ塗装車や、更新前・非冷房時代の赤電形式、ならびに最後まで残った青電形式の2100形・210形、1990年代前半に3200形で装った試験塗装車両や1990年代のみ在籍した千葉急行の車両等、懐かしい写真を盛沢山掲載しました。




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京成 青電 210系


・京成2100形・210形・2000形

 1932年〜1953年新製

 1988年全廃

京成通勤形鋼製車は、1960〜1970年代、都営地下鉄浅草線乗入対応18m車 3000形以降の車両は暖色系に塗られ‘赤電‘と呼ばれたのに対し、750・2250形以前の車両は、都営地下鉄浅草線非乗入車・車体長17m以下の車両で、緑の濃淡の塗装を装ったことから、‘青電‘(当サイトでは‘青電形式‘と呼ぶ)と呼ばれた。青電形式は、ここで紹介する210系20両以外の一般旅客車両は、新京成に譲渡する等、1980年(昭和55年)4月までに京成から除籍した。

青電形式のうち1952年(昭和27年)〜1953年(昭和28年)製の2100形2101〜2109の制御車、旧国鉄63タイプ2000形2008の制御車、及び1932年(昭和7年)〜1935年(昭和10年)に製造した210形210〜219の電動車 計20両は、1967年〜1971年の更新で、高性能車化で平行カルダン化(WNカルダン・TDカルダン併用)、不燃化対策等を行い、1987年(昭和62年)9月〜1988年(昭和63年)3月の廃車時まで使用した。これら20両を総称し‘210系‘と呼んだ。

青電形式のうち、210系のみ塗装は統一性とコスト削減を考慮し、1980年(昭和55年)2月〜1981年(昭和56年)10月に赤電形式と共にファイアーオレンジベースにモーンアイボリー帯の配色に変更したが、電気ブレーキを持たず加減速が劣る事や、17m車で都営地下鉄浅草線乗入非対応な事から、晩年は自社普通運用限定で使用した。

210系とは多少話が外れるが、京成のカルダン車は1954年(昭和29年)7月に同年4月に新製した700形704・2200形2203で試験採用(2200形はTc車)。1954年12月にデビューした750形・2250形(2250形はTc車)で本格的採用した。750形・2250形は発電ブレーキを採用する等、近代化に貢献した。関東他社1500V架線大手私鉄会社で、昭和20年代末の1953年(昭和28年)〜1954年(昭和29年)にデビューしたカルダン車は東急5000系、小田急2200形があった。両者は、直角カルダンを採用し、昭和30年代に入った1955年以降にデビューした新形式から平行カルダンを採用するケースをとった。東急・小田急の軌間は1067mmなのに対し、京成は1375mm(1959年に1435mmに改軌)と軌間が広い1500V架線鉄道路線だったことから、直角カルダンの採用実績はなく、試験採用した700形704・2200形2203をはじめ750形・2250形より関東大手私鉄では初めて平行カルダン(TDカルダン・WNカルダン併用)を採用した。
京成青電形式のカルダン車はここで紹介する2100・210・2000形20両と750形・2250形20両の計40両だった。尚、750形・2250形は初期高性能車という事から車両メンテナンスに不都合が生ずる等の理由から、釣掛車の200形・500形等に先立ち1973年(昭和48年)9月までに全車廃車解体となった。従って、750形・2250形グループと2100・210・2000形グループ(210系)の青電形式カルダン車が同期に運用に就いたのは僅か6年と短かった。

京成の一般旅客車の釣掛車は、1980年(昭和55年)4月に全廃になった510形・200形を最後に消滅し、関東大手私鉄で最初に全車両高性能車化を達成した。

一般旅客車の青電塗装は、210系のの塗装変更が完了した1981年(昭和56年)10月時点で消滅し、後に行商専用車の700形・2200形704・2203が1982年(昭和57年)1月に廃車となり完全消滅した。

210系引退直前の1988年(昭和63年)3月に、2100形2両・210形2両の4両1編成で、青電塗装リバイバルカラーに戻し、‘2100形・210形さよなら運転‘を行いファンを歓ばせた。一般営業車の青電塗装は6年半振の復刻だった。

青電形式引退から21年、京成100周年を迎えた2009年(平成21年)5月に赤電形式の3300形4両1編成で青電塗装に変更し、運用に就いている。形式外のリバイバル塗装とはいえ、ファンを歓ばせている。






京成 赤電  ( 京成3000系 )
※京成からのリースにより誕生した他社車両も、同ページで紹介します。





・京成初代3000形
 (3001〜3014)

 1958年新製

 1991年全廃





・京成初代3050形
  (3051〜3076)
・千葉急行3050形

 1959年新製

 1996年全廃




・京成3100形
 (3101〜3116・         3121〜3136)
・千葉急行3100形

 1960年〜新製

 1998年全廃





・京成3150形
 (3151〜3194)
・千葉急行3100形
・北総7050形

 1963年新製

 2003年全廃





・京成3200形8M車 
 (3201〜3220)


 1964年新製

 2004年全廃







・京成3200形6M車 
 (3221〜3280)
・北総7250形


 1964年〜新製

 2007年全廃






京成3200形3290番台
 (3291〜3298)


 1967年新製

 2007年全廃








・京成3300形1次車 
 (3301〜3316)
・北総7260形


 1968年新製





・京成3300形2次車
 (3317〜3350・
     3353〜3356)

 1969年〜新製





1958年(昭和33年)に日本初の地下鉄乗り入れ対応私鉄車両としてデビューしたのが初代3000形(ここでは2002年に導入した車両も`3000形`を名乗るので初代3000形と呼称する)。乗り入れ先の都営1号線(現浅草線)の規定に合わせ、18m3扉車とした。

青電形式750形に続き平行カルダンを採用したが(750形同様にTDカルダン、WNカルダンの2種を採用)、初代3000形ではMMユニット構成とする等、京成の高性能車の基礎を作った。また、広幅貫通路や室内送風機ファンデリアの採用等、当時はグレードの高い車両だった。ブレーキ装置は電磁直通ブレーキで発電制御併用のHSC-Dタイプとなり、このタイプのブレーキ装置は3300形までの赤電各形式をはじめ、1982年まで製造した3500形までの抵抗制御車で採用した。

その後はライト2灯化、両扉化、方向幕搭載ほか機器類のマイナーチェンジ等の度、形式を変え、3050・3100・3150・3200・3300形と6形式に分類し1972年(昭和47年)3月までにのべ258両新製。うち、3150形4両と3200形8両は指定特急‘開運‘用としてセミクロスシートでデビューした。これらを総して‘3000系‘といった形式が与えられ京成の主力車となった。

1959年(昭和34年)10月9日〜12月1日に、都営1号線にあわせ線路規間を従来の1375mmから1435mmとする工事を行った。1959年9月に入線した初代3050形より新製時から新規間の1435mm台車を履き、工事完了までに3000形を含めた当時の在籍車全車を1435mm台車とした。そして、1960年(昭和35年)12月4日より、同年秋に入線した3100形1次車をはじめ、3000形・3050形の3形式で都営地下鉄1号線(現浅草線)乗り入れを開始した。
以後、京成通勤形新製車は、21世紀以降にデビューした2代目の3000形に至るまで全て18m3扉車の都営浅草線乗り入れ対応車とした。

塗装は、初代3050形以降、明るいモーンアイボリーとファイアオレンジベースのツートンにステンレスで縁取ったミスティラベンダー帯でデビューし、青電色でデビューした3000形も後に変更。緑の濃淡塗装の ‘青電‘に対し、3000系は ' 赤電 ' と呼ぶようになった(当サイトでは赤電形式と呼ぶ)。

台車・主電動機は汽車会社製台車を履く車両は東洋製主電動機、住友金属製の台車を履く車両は三菱製主電動機となり、各形式共2社の台車・主電動機をもつ点が興味深い。


1976年(昭和51年)10月〜1992年(平成4年)4月に全車両で更新を行い、その結果全車が30年以上在籍した。又、塗装経費削減のため、1980年(昭和55年)2月〜1982年(昭和57年)4月に全車両でファイアーオレンジベースにモーンアイボリー帯の新赤電塗装に変更した。
成田空港ターミナル直下乗入後、3700形がデビューし京成のイメージカラーはファイアーオレンジから、レッド・ブルーに移行しつつあった。そこで、1991年(平成3年)12月以降、3200形8M車で数パターンの試験塗装を行った後、3100形以降の車両210両(1995年4月時点での京成在籍車両)を対象に、1993年(平成5年)6月〜1995年(平成7年)6月に現行標準色となったアクティブシルバーベースにヒューマンレッド・フューチャーブルー帯の配色に変更した。従って、赤電形式の塗装変更は2度目となった。


1980年代に入り京成の車両冷房化率は他社と比較し大幅に遅れをとっていたが、初代3050形以降の車両で1983年(昭和58年)3月〜1991年(平成3年)3月に242両を対象に冷房化を行ない車両完全冷房化に挑めた。

1980年代末〜1990年代初頭、更新時にVVVFインバーター制御やクロスシート等を試みた車両が出現し、バラエティー豊かな車両が揃った時代もありファンを歓ばせた。。

1991年(平成3年)3月に初期形式で非冷房車で残った初代3000形14両と3050形2両が廃車となり京成の車両冷房化率は関東大手私鉄の京急・相鉄・小田急・西武に次ぎ100%となった


1993年(平成5年)3月、3700形や3400形の代替により、冷房化した初代3050形以降の車両でも古い形式から順次廃車が始まった。
又、1994年(平成6年)1月、近隣系列会社の千葉急行に廃車直前の3050形を4両リース。京成自社発注車両の譲渡車は、新京成で1978年(昭和53年)まであったものの、リースは初。千葉急行は1995年(平成7年)4月にちはら台延伸に伴い、さらに3050形4両をリース。以降、千葉急行は8両のリース枠を設け、検査期限時に京成に返却し廃車に、それと代替する形で経年車で検査期限に余裕のあった車両を置き換える形で、初代3050形8両・3100形6両・3150形8両と延べ22両をリースした。尚、1998年(平成10)10月1日付で千葉急行は解散し、京成が業務を引き継ぐことになり、8両が京成に復籍し、京成車として運用し続けた珍事があった。
その他、1995年(平成7年)9月に3150形8両を北総にリースし、1998年(平成10年)2月にさらに3150形8両をリース。以後、北総の在籍車両のうち16両は京成からのリースにより車両数を賄うことにし、赤電形式としては3150形32両・3200形6M車8両・3300形1次車8両とのべ48両をリース。16両枠内で、検査期限近い車両を京成に返却し廃車に、そして検査期限に余裕のある経年車を主に代替する形をとり、現在も3300形1次車8両をリース中。尚、北総車のリース枠のうち8両は2003年(平成15年)1月に若年車の3700形をリースしたため、経年車のリース枠は8両となった。

1996年(平成8年)3月〜2001年(平成13年)3月までは、3700形増備と共に3500形更新も併用して行い、年間の代替数も少なかった。

2003年(平成15年)2月にコスト軽減・大量生産形とした2代目の3000形が運用開始した後は、赤電形式3200形以降や3500形原形車の代替が急速化し、3000形の増備を中断した2008年(平成20年)3月末時点で、3300形40両(1次車16両・2次車24両)が残るのみとなった。その後は成田スカイアクセス用新造車の大量増備により本線用の新造車はなく、廃車になった車両もいない。
うち、京成在籍車両32両は、全て4両編成となり、自社線普通運用限定として活躍中。6両編成を最短編成とした都営地下鉄浅草線にも乗り入れなくなったほか、優等運用からも離脱した。金町線や朝夕の千葉線・千原線等に使用し、6両編成が主の本線普通運用からも激減し、成田空港へも行かなくなったほか、2010年7月5日以降は押上線での運用もなくなった。


一方、北総にリース中の3300形1次車8両は、現在も都営地下鉄浅草線を経て京急線羽田空港にも乗り入れ、京急線内や北総線内で急行運用でも使用している。しかし、7300形や7500形、9100形(千葉ニュータウン鉄道所有)等VVVFインバータ制御車と比較し性能は低く、運用は限定されがちな傾向にあり、土日祝日等終日車庫で休んでることも多い。

赤電形式の全廃もそう遠くはないかと思われる。


特筆する事項として、1994年(平成6年)9月〜1995年(平成7年)2月に廃車直前の3050形4両で、2007年(平成19年)1月〜3月に廃車直前の3200形4両でリバイバルカラーとして、モーンアイボリーとファイアオレンジベースのツートンカラーにミスティラベンダー帯の赤電塗装に戻したうえ運用に就き、ファンを歓ばせた。
2009年(平成21年)、京成100周年を記念し、歴代3色のリバイバルカラーを数少なくなった京成在籍の3300形4両編成3本で行うことになった。まず第一陣として、2009年5月末に3300形2次車4両が青電塗装に変更。第2陣として、2009年8月下旬に3300形2次車4両でモーンアイボリーとファイアオレンジベースのツートンカラーにミスティラベンダー帯を配した赤電塗装に変更。続いて2009年9月中旬に、3300形1次車4両でファイアーオレンジベースにモーンアイボリー帯の新赤電色に変更。3300形歴代リバイバルカラー編成3本は、3300形現行標準色編成(アクティブシルバーベースにヒューマンレッド・フューチャーブルー帯)や3500形原形車に混じり4両普通運用で使用し、ファンを歓ばせている。

赤電形式元祖してデビューした初代3000形は、2008年(平成20年)5月で生誕50年で半世紀となったほか、都営地下鉄1号線(現浅草線)と乗り入れ開始し、2010年(平成22年)12月で50年で半世紀をむかえた。



京成グループ会社、元京急旧1000形の譲渡車・リース車




 北総7150形

 1991年〜譲渡

 1998年全廃





 京成1000形
 千葉急行1000形

1988年〜リース

1994年全廃




1980年代末から1990年代初頭にかけて、京成をはじめグループ会社の北総、千葉急行に当時京急で廃車が進行していた旧1000形初期車のリース車・譲渡車が順次誕生した。該当した京急1000形は24両で、1959年(昭和34年)〜1962年(昭和37年)に製造した車両。

最盛期は京成線内で現役京急旧1000形と合流する等、ファンを喜ばせた。

1988年(昭和63年)12月、京成で京急から除籍となった旧1000形4両編成2本計8両を6年契約でリースした。車号・塗装変更せずにリースにあたっての改造は最小限に抑えた。大手私鉄間の譲渡は過去に東急→名鉄の例はあったが、リースは前代未聞の事例だった。これは輸送力増強の為で、当時の京成では8両編成の新造車(現行の3700形)が設計段階であったことからこのような珍事が生じた。

1991年(平成3年)3月31日の北総2期線開業時に、京急から旧1000形8両編成1本と4両編成2本の計16両を譲渡し、塗装変更の上、'北総7150形'と改番した。

京成1000形は3700形がデビューした後の1991年末以降、4両編成1本は京急に返却し即廃車とした。
そして、残る4両編成1本は翌1992年(平成4年)4月1日に新規開業した千葉急行に又貸しといった形で塗装変更の上リースし、京成から1000形は消滅した(千葉急行は1998年9月30日をもって会社解散し、京成に吸収合併し、京成千原線となった)。

それまでの京成グループ会社へのリース車・譲渡車は、都営浅草線乗入対応の純京成車で冷房車の除籍対象車がいなかった為、都営浅草線乗入対応車で冷房化済の京急1000形初期車で行い、改造を最小限に抑えた。よって、都営浅草線経由で京急久里浜工場で車両の検査等整備を行う事ができ、円滑な運用ができた。

京成でも1993年(平成5年)3月以降、冷房車の廃車が始まり、以後グループ会社は京成車でリースを行う事により車両数を確保する方針に切り替えた。

1994年(平成6年)1月に千葉急行車リース車は京成初代3050形4両をリースする事により開業時以来の1000形4両は京急に返却後廃車となり消滅した。

1995年(平成7年)9月末、京成3150形8両を改番・帯色変更のうえ北総7050形としてリースすることにより、7150形8両は廃車になった。その時点で、京成グループに在籍した元京急1000形は北総7150形4両編成2本のみとなったが1998年(平成10年)2月初頭に追加分として京成3150形をリースした7050形8両に代わり廃車になった。

よって京成グループの元京急旧1000形の在籍は、9年2ヵ月で終わった。

2010年(平成22年)6月、京急で旧1000形は全車運用離脱した。








1972年以降にデビューした京成本線用 通勤形車両
※ 京成と同一設計で誕生した他社車両、およびリースにより誕生した他社車両も同ページで紹介します。




 京成3500形

 1972年〜新製






 京成3600形  

 芝山鉄道3600形


 1982年〜新製






 京成3700形  
   
 北総7800形


 1991年〜新製






・京成3400形


 1993年〜新製






 京成3000形、


 2003年〜新製





1972年(昭和47年)12月、赤電形式に代わりに京成初のセミステンレスカー・冷房車の3500形がデビュー。1982年(昭和57年)5月までに96両製造した。当時の京成イメージカラーだったファイアーオレンジ帯を配した。この形式以降の京成通勤形車は全て冷房車となった。途中増備車でオールステンレス試作車もあった。性能は都営地下鉄浅草線乗り入れ規格で抵抗制御で赤電形式と同一だった。3500形以降の新形式の台車は住友金属製の1社発注となったが、主電動機の三菱製・東洋製の2社発注は2代目の3000形まで続いている。
1996年(平成8年)3月〜2001年(平成13年)3月にかけて56両の車両で更新を行った。


1982年(昭和57年)6月、省エネ通勤形車両、界磁チョッパ車で6両固定編成の3600形がデビュー。1989年(平成元年)7月までに6両編成7本54両製造した。AE形で採用した回生ブレーキを採用し、21世紀以降デビューした新3000形に至るまでの基礎を作った。
3600形6両編成7本は、8両編成増発に伴い1997年(平成9年)6月〜1999年(平成11年)9月にかけて8両編成6本と6両編成1本に編成替を行なった。
3600形以降の新車は3400形を除き全てオールステンレス車とした。


1991年(平成3年)3月にVVVF車3700形を導入し、当形式は8両編成中心とし優等運用の主力車となった。2002年(平成14年)3月までに8両編成15本と6両編成2本132両製造した。3700形以降の通勤形車両はレッド・ブルー帯となり、ステンレス車体にファイアーオレンジ帯だった3500形・3600形でも1993年(平成5年)8月〜1996年(平成8年)3月にレッド・ブルー帯に変更した。


1993年(平成5年)2月、特急車AE形の足回り界磁チョッパ制御等を流用し、大栄車輌にて3700形ベースに新製した3400形通勤車がデビュー。1972年以降にデビューした通勤形では唯一の鋼製車となった。3400形は車籍上、AE形→3400形と形式変更扱いとし、AE形同数8両編成5本40両が1995年(平成7年)11月までに落成した。


2003年(平成15年)2月、コスト軽減を考慮した3000形を導入。VVVF素子も3700形以来のGTOからIGBTに変更。コスト軽減を重視したことから年間新造車数も多く、2008年(平成20年)2月までに8両編成1本と6両編成24本 計152両製造し、その後の増備はないが、京成車両形式別では最多数となった。6両編成を中心としたため、本線普通運用の主力車となった。3000形という形式は2代目となり、 ‘ 新3000形‘ と呼ぶこともある。2008年(平成20年)2月に新造した3000形以降は、成田スカイアクセス用車両等の準備段階に入り、以後本線用の新造車はない。

3700形と3000形に関しては北総でも、同一設計の7300形、7500形がデビューした。

京成のステンレスカーは、現役営業車で4形式存在し、現在、通勤形の8割以上がステンレス車となった。又、3700形以降で採用したVVVFインバーター制御車も、京成全車両の約7割を占めている。


京成ステンレス車の歴史も古く、2代目の3000形がデビューした2003年(平成15年)3月より3500形未更新車の廃車が始まり、現在までに24両が廃車済。
又、3600形8両は2002年(平成14年)10月より芝山鉄道に、3700形8両は2003年(平成15年)2月より北総鉄道にリースしている。







京成本線‘スカイライナー‘ ‘シティライナー‘ 用車両 
 



 京成初代AE形

 1972年〜新製

 1993年引退
 1995年形式消滅



 京成AE100形


 1990年〜新製

 



1970年代前半までは、成田山参拝需要の指定特急'開運'を運用してきたが、国際空港・成田空港開港に伴い、京成は全国の鉄道会社で初の空港輸送を開始した。
それに伴い、1972年(昭和47年)3月にデビューしたのが、都心と空港を速達で輸送する日本初の空港特急としてデビューした初代AE形だった。初代AE形は、全て6両編成でデビューし、京成初の回生ブレーキ付、界磁チョッパ制御車・冷房車となった。後継のAE100形も同様だが、台車は住友金属製、主電動機は東洋1社に各々発注したほか、WNカルダンで統一した。華やかなスタイルでデビューしたAE形だったが、空港開港が遅れ1973年(昭和48年)12月30日、暫定的に上野〜成田間を結ぶ指定特急として営業運転開始した。その間は車庫で休んでる車両も多く、空港開港直前に過激派に車両放火される等涙目の日々が続いた。

1978年(昭和53年)5月21日に成田空港が開港したのに伴い、京成成田空港駅(現東成田駅)も開業。それまでに初代AE形は6両編成7本42両製造した。以後、初代AE形は'スカイライナー'として本格営業運転開始した。
空港開港からしばらくは乗客も伸び悩み、赤字経営の日々を送っていたが、1980年代後半以降は乗客も増え、黒字に転じた。1984年以降、'スカイライナー‘と同車両を使用し、朝夕に普通乗車券に特急券を加え乗車可能で途中停車駅を増やしたモーニングライナー・イブニングライナーが誕生したのも乗車率向上の要因につながり、成田スカイアクセス開業後も運用を続けている。

1983年(昭和58年)9月〜1984年(昭和59年)10月に塗装をブルー・レッド・ホワイトに変更し、今日の京成色の基礎を作った。
初代AE形は、1990年(平成2年)6月〜7月に、2両中間電動車化、2両廃車とすることにより8両編成化を行い、8両編成5本に組み替えた。後述のAE100形8両編成2本を新製したことから、本数は変えずに'スカイライナー‘全運用を8両化した。
初代AE形は、1991年(平成3年)夏以降、AE100形の増備に伴い順次運用離脱し、1993年(平成5年)6月27日に‘さようなら運転‘を行い全車運用離脱した。初代AE形40両は足回り等を通勤形3400形に譲り、車体は保存車1両を除き解体した。車籍上、AE形→3400形と形式変更扱いとし、3400形8両編成5本が揃った1995(平成7年)11月に初代AE形は形式消滅した。



1990年(平成2年)6月に、翌1991年(平成3年)3月19日の成田空港ターミナル直下乗り入れに先立ち8両編成のAE100形がデビュー。京成初の新製VVVFインバーターを採用した。
初年度は、前述のとおり‘スカイライナー‘全編成8両編成化する等輸送客増強に備え8両編成2本製造。翌1991年(平成3年)6月以降はAE形代替として増備し、1993年(平成5年)5月までに、8両編成7本(計56両)新製した。前述のとおりAE形は1993年6月に全車運用離脱し、'スカイライナー‘8両編成7本が2代目のAE100形に置き換わった。
AE100形は、バリアフリー化やサービス向上等を考慮し、車齢10年前後経った2001年(平成13年)12月〜2003年(平成15年)7月に室内リニューアル工事を行った。



2010年度(平成22年度)7月に、北総線を経由した成田スカイアクセス(成田高速鉄道として印旛日本医大〜成田湯川を経由し空港第2ビル・成田空港に至る新線)が開業し、本線のスカイライナー運用としてAE100形は引退。


2010年(平成22年)7月17日の成田スカイアクセス開業日より、AE100形は‘シティライナー‘として8両編成4本(計32両)を残すことになった。
従来の本線用‘スカイライナー‘停車駅に青砥を加えた有料特急として活躍している。‘シティライナー‘は、従来の‘スカイライナー‘と比較し減便となったため、AE100形は8両編成3本が廃車となった。空港客等はスカイライナーやアクセス特急・本線特急に乗客が流れ、シティライナーは乗車率低い状況が続いた。
2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災により、節電ダイヤを組むことになり、シティライナーは震災翌日より、2011年9月9日まで全運休となり、AE100形32両は車庫で休む日々が続いた。2011年9月10日より朝夕2往復のみ運行を再開したが、基本1日1本のみ使用となり、残り3本は車庫で休んでいることが多く運用率は低い。








成田スカイアクセス線開業時の増備車両
 

・京成AE形


 2009年〜新製
 2010年7月営業運転開始








・京成3050形

 2009年〜新製
 2010年7月営業運転開始




2010年(平成22年)7月17日に、北総線(千葉ニュータウン鉄道)の印旛日本医大から、新駅の成田湯川を経て空港第2ビルへ至る新路線とした‘成田スカイアクセス‘が開業した。同線で、成田空港へのアクセスは、スカイライナーとアクセス特急を使用。京成高砂以東は北総線(千葉ニュータウン鉄道)・成田スカイアクセスを経由したルートで空港第2ビル・成田空港を結んでいる。同線はカーブ等も少なく、スカイライナーは本線経由時代より大幅に短縮し、日暮里〜空港第2ビル間を36分で結んでいる。又、アクセス特急は、空港輸送ほか、北総線内日中の優等運用の役割を果たしている。




2代目のAE形は、成田スカイアクセス開業用とし、デザイナー山本寛斎氏の設計により誕生した。2008年(平成20年)4月9日に完成図を一般公開し、2009年(平成21年)5月に第1編成目が完成。その後、成田スカイアクセス開業直前の2010年(平成22年)6月までに8両編成8本入線した。性能はIGBT素子のVVVFインバータ制御で、京成初のボルスタレス台車を採用。主電動機出力を大容量とする等160km/h運転可能とした高速対応の車両。全国の在来線では最高速度で運用している。成田スカイアクセス経由の‘スカイライナー‘ほか、本線のイブニングライナー・モーニングライナーでも使用している。2010年(平成22年)9月29日、日本産業デザイン振興会にてグッドデザイン賞を受賞した。さらに、2011年(平成23年)に鉄道友の会からブルーリボン賞を受賞した。


2代目の3050形は、2009年(平成21年)9月に第1編成目が入線し、成田スカイアクセス開業直前の2010年(平成22年)6月までに8両編成6本が入線。
車体は、京成本線用2代目の3000形とほぼ同様だが、カラーリングが変わり、ブルーベースグラレーションで飛行機マークを入れたカラーフィルムを配した点が異なる。足回り等の主電動機等は京成本線用2代目の3000形と殆ど同一で、IGBT素子のVVVFインバータ制御を採用。性能的な変化はなく、‘3000形7次車‘ともいえる。



両形式共、2010年(平成22年)7月17日の成田スカイアクセス開業日より営業運転を開始した。尚、3050形は京成高砂以東本線や東成田線・芝山鉄道で3700形や3600形等に混じり優等運用に就くこともあり、東日本大震災の節電ダイヤ以降は通常化した。














北総鉄道 ( 旧公団車の千葉ニュータウン鉄道所有車も含む ) オリジナル設計車両 




 北総7000形

 1979年〜新製

 2007年全廃





 北総9000形

 (旧 公団2000形

 1983年〜新製



 北総7300形

 1991年新製




 北総9100形

 C-Flyer
 (旧 公団9100形

 1994年〜新製




 北総7500形

 2006年〜新製





1979年(昭和54年)3月9日、北総開発鉄道北初富〜小室間開業に備え7000形を6両編成3本新製。7000形はフランス鉄道車両をイメージし、鉄道車両初のカラーフイルム等を用いたセミステンレス車・界磁チョッパ車。室内吊革をなくし掴み棒を設置する等ユニークな発想でデビューした。開業当初より新京成北初富〜松戸間で乗入運転を行ない、7000形も新京成に乗り入れた。


1984年(昭和59年)3月19日、北総開発鉄道の延長として開業した小室〜千葉ニュータウン中央間は住宅都市整備公団所属となり、公団車両としてセミステンレス車2000形6両編成2本新製した。こちらも足回りは北総7000形と共有し界磁チョッパとしたが、外観にイェローグリーン・オレンジのフイルムを配したカラフルなステンレス車でファンを喜ばせた。運用は北総・公団共共通運用となり、公団車両も新京成に乗り入れた。業務は北総が委託した。


1991年(平成3年)3月19日、北総線京成高砂〜新鎌ケ谷間開業(新鎌ケ谷駅は北初富〜西白井間に新駅開業)、京成線を経て都営浅草線や京急線へ4社直通運転を開始した。それに先立ち北総7000形・公団2000形は1989年(平成元年)10月〜1991年(平成3年)2月に京成線・都営浅草線・京急線乗入対応工事を行なったほか、1990年(平成2年)11月〜12月に中間電動車を各編成2両新造し、8両固定編成化した。その際、新規導入した車両は京成3700形と同設計の7300形8両編成2本と京急旧1000形を譲渡した7150形8両編成2本(うち1本は4両+4両編成で分割可能)で個性的な車両は生まれなかった。


1992年(平成4年)7月8日、新京成線新鎌ケ谷駅開業に伴い、新京成線松戸〜北初富間と北総・公団線新鎌ヶ谷〜千葉ニュータウン中央間の乗入運転を廃止した。


1994年(平成6年)夏に、乗入先の京急にも2000形が存在することから公団2000形は9000形と形式変更した。


1995年(平成7年)4月1日、公団線千葉ニュータウン中央〜印西牧の原間開業に伴い、新たな発想をもったオールステンレス車9100形、通称'C-Flayer' 8両編成2本新製。足回りは京成3700形等共有化しGTO素子VVVFインバーターとした。
外観は前面に丸みをおび、ブルー・イエローを基調とした個性的な車両で、車内においては通勤形初の公衆電話を設置したり、車端部にクロスシートを設置する等マスコミでも話題になった通勤形。
2000年(平成12年)7月22日の印西牧の原〜印旛日本医大開業時にも9100形8両編成1本増備したが、こちらは一部クロスシートをロングシート化や公衆電話の廃止等、一般通勤車に近付けた (最初の2本も1998年に公衆電話は廃止した)。


1995年(平成7年)9月下旬、京急旧1000形を譲渡した7150形8両編成2本のうち1本置き換えるため京成から3150形8両(4両+4両)をリース。そして1998年(平成10年)2月上旬に追加分として京成から3150形8両(4両+4両)をリースし7150形は全廃。以後16両は、京成からのリース枠となり、現在は京成3300形8両と京成3700形8両がリース中。

2004年(平成16年)7月1日付で公団は京成100%出資の千葉ニュータウン鉄道が引継ぎ、公団車8両編成5本40両は京成グループの車両となった。よって9000形・9100形は千葉ニュータウン鉄道所有の北総鉄道在籍車両とし、引き続き7000番台の車号をもつ純北総車と共有運用で使用している。

2006年(平成18年)2月、北総鉄道で開業時より使用してきた7000形の代替とし、京成3000形と同設計の7500形が生まれた。2007年3月までに7000形同数の8両編成3本新製、2007年(平成19年)3月25日のさよなら運転を最後に廃車となり形式消滅。名車‘北総7000形‘は約28年の活躍に終止符を打った。





   
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